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夢への挑戦

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2011/06/06   もう一回はじめようかな・・・。 : 歴史


最近、ちょっと一段落ついて坂の上の雲を読み始めました^^

やっぱり、良いですよね~

司馬遼太郎さん最高です!!

感動、感動、感動です。

急に、小村寿太郎に行ったと思えば陸奥宗光がでてきたり~。

広瀬武夫が出てきたと思えば、夏目漱石が出てくる。

でも、「この人関係ないやろ」って思っても

うまく繋げてくる凄さ。感動しかありません。

そこで、思ったんですけど

みんなにめっちゃ歴史のすごさを知ってほしいし

僕も最近は全く興味なくて、ちょっと忘れちゃってる部分もいっぱいあるんで

歴史ブログ始めようと思います!!

まぁ、どこのブログで始めるのかは、頑張って調べて見てください。

一生懸命頑張ります^^

それでは!!(歴史小説読もうぜ^w^)

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2011/05/03   天地人 : 歴史


こんばんはー!
GWの初日は、久々に歴史の記事でも書いてみようかと・・・(笑)

もう、大河ドラマ終わって1年以上になるんですね~・・・。

直江兼続を描いた「天地人」

すばらしかったです^^

兜にかかれた「愛」と言う文字は有名ですね。

あの愛には

「愛染明王」と言われる神(?)か仏かなんかの意味と

「愛民」という自分の国の人たちをきずかうような兼続の優しさが出ています。

なぜ、かねつぐがあれだけ出来たのか。

やはり、人生の師匠がいたからですね。
「上杉謙信」という天才が。

師弟の絆というのは固くつながりすぎていますね。
ちょっとやそっとじゃほどけない。
知恵の輪みたいになってるんですかね?(笑)


というか、
まず皆様は「天地人」ってどういう意味なのかわかりますか?


「天地人」とは

「天の時、地の利、人の和」

ということです。
昔から事を成し遂げるために必要なものであると言われていました。

天の時、地の利、人の和というのは、
確か孟子か孫子かなんかの書物の書かれていた言葉だったような・・・(曖昧ですw)

ちょっと、変な方向に向かいますが

関ヶ原の合戦でなぜ石田三成が敗北したのか。

確かに、三成には「地の利」があったのかもしれません。

ですが、天の時と人の和がありませんでした。

中でも、人の和を三成は軽んじていました。

名将軍と呼ばれてもおかしくない島津家の将を兵数だけ見て軽んじ、

「自分が絶対なんだ」と言わんばかりの行動

人の和とか言ってる場合じゃないです(笑)

逆に、人の和を壊しにかかってるくらいだから。

もし、人の和だけでも大切にしていれば大勝利を収め
今の日本に「トンチン菅政権」なんてなかったろうに・・・(笑)

まぁ、そんなこんなで天地人のお話でしたー!!w

それじゃぁ、
さよ~なら~


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2011/02/11   エイブラハム・リンカーン : 歴史


久々に歴史記事書きます^^

1809年2月12日:トーマス・リンカーン夫妻の子として生まれる。
(ということは誕生日は明日。またダーウィンと同じ誕生日である)

1831年:イリノイ州サンガモン郡で一人暮らしを始める。

1832年:イリノイ州VSインディアンの戦争に義勇軍として参加する。

1832年:イリノイ州で州議会に立候補。しかし落選。

1834年:イリノイ州の下院議員として初当選。
(その後、4期連続当選)

1837年:法律事務所を開業する(すぐれた弁護士となる)

1837年:議会で初めて、奴隷の抗議を行う。

1846年:下院議員となる。
(下院議員の任期終了時に、当時の大統領はオレゴン準州の総裁の地位を与えようとしたが断る)

1854年10月16日:カンザス・ネブラスカ法に反対する演説を行う。

1858年:ダグラスの対抗馬として上院議会に立候補。
      敗れるも、これがきっかけで全米に名前が通る。

1860年:共和党の大統領候補となり立候補。

同年11月6日:第16代大統領に就任する。

1861年:大統領に就任するが南部が連合から脱退すると公言。
      厳戒態勢の中就任式が行われる。

1861年:南北戦争始まる。
(グラント将軍を任命する。)

1862年9月:奴隷解放宣言を行う。

1865年4月14日:大統領が襲撃される。(暗殺)

1865年4月15日:リンカーン死去。



といった感じです(すごく簡略です)
今回は、時間もなかったため「ウィキペディア」使いました^^;(笑)

でも、リンカーンは素晴らしい人物でした。

本当に、すごい人です。

最後に、有名な演説をどうぞ

Four score and seven years ago our fathers brought forth on this continent, a new nation, conceived in Liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal.

Now we are engaged in a great civil war, testing whether that nation, or any nation so conceived and so dedicated, can long endure. We are met on a great battle-field of that war. We have come to dedicate a portion of that field, as a final resting place for those who here gave their lives that that nation might live. It is altogether fitting and proper that we should do this.

But, in a larger sense, we can not dedicate -- we can not consecrate -- we can not hallow -- this ground. The brave men, living and dead, who struggled here, have consecrated it, far above our poor power to add or detract. The world will little note, nor long remember what we say here, but it can never forget what they did here. It is for us the living, rather, to be dedicated here to the unfinished work which they who fought here have thus far so nobly advanced. It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us -- that from these honored dead we take increased devotion to that cause for which they gave the last full measure of devotion -- that we here highly resolve that these dead shall not have died in vain -- that this nation, under God, shall have a new birth of freedom -- and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.

87年前、われわれの父祖たちは、自由の精神にはぐくまれ、人はみな平等に創られているという信条にささげられた新しい国家を、この大陸に誕生させた。

今われわれは、一大内戦のさなかにあり、戦うことにより、自由の精神をはぐくみ、自由の心情にささげられたこの国家が、或いは、このようなあらゆる国家が、長く存続することは可能なのかどうかを試しているわけである。われわれはそのような戦争に一大激戦の地で、相会している。われわれはこの国家が生き永らえるようにと、ここで生命を捧げた人々の最後の安息の場所として、この戦場の一部をささげるためにやって来た。われわれがそうすることは、まことに適切であり好ましいことである。

しかし、さらに大きな意味で、われわれは、この土地をささげることはできない。清めささげることもできない。聖別することもできない。足すことも引くこともできない、われわれの貧弱な力をはるかに超越し、生き残った者、戦死した者とを問わず、ここで闘った勇敢な人々がすでに、この土地を清めささげているからである。世界は、われわれがここで述べることに、さして注意を払わず、長く記憶にとどめることもないだろう。しかし、彼らがここで成した事を決して忘れ去ることはできない。ここで戦った人々が気高くもここまで勇敢に推し進めてきた未完の事業にここでささげるべきは、むしろ生きているわれわれなのである。われわれの目の前に残された偉大な事業にここで身をささげるべきは、むしろわれわれ自身なのである。―それは、名誉ある戦死者たちが、最後の全力を尽くして身命をささげた偉大な大義に対して、彼らの後を受け継いで、われわれが一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしないために、この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、われわれがここで固く決意することである。
(About the USAより翻訳を引用)


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2010/08/04   明治天皇 : 歴史


今日は、「明治天皇」の特集です。

以外と知られていない、「明治天皇」ですがだからやる意味があると思います!

明治天皇は、幕末の動乱の中で、孝明天皇の第二皇子として1852年に京都に生まれました!

8年後に、父の孝明天皇から皇太子の位を賜る。

その後、約17歳という若さで、天皇に即位しました。

即位の年の一年前には、大政奉還も実現させています。

大政奉還の年には、「王政復古の大号令」もだしています。

その後、即位するまでの一年間は戊辰戦争に力を入れました。

即位すると、東京に行き江戸城を「皇居」と改称しました。

その年の、7月には「版籍奉還」8月には「廃藩置県」も成功させます!

1873年には、征韓論で幕府内が揺れましたが、西郷隆盛に勅旨を出しうまくおさめました!

1882年に、軍隊を強化、18884年からは国会開設のため大忙しに頑張りました!

日本初の国際戦争である「日清・日露戦争」では、大本営で直接指揮を取りました。

1911年には、不平等条約も改正し列強への仲間入りも果たします。

ですが、1912年持病の糖尿病が悪化し、尿毒症となり満59歳という短い生涯を終えました。

明治維新の偉人と言えば、やはり「坂本龍馬」とか、「西郷隆盛」とか考えますが、

その陰には、その人物達の意見を採用する度量のある、
素晴らしい「天皇」がいたからなのではないでしょうか。


最後の一文は、
評論家みたいな書き方で、すいませn。。
最後の一文、めっちゃ、かっこつけてるし(笑

でも、たしかに天皇の中では
明治天皇は凄いんじゃないかな!!
僕は、そう思います~。
というか、思いたい(笑


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2010/08/04   伊藤博文 : 歴史


今日は、伊藤博文で~す。

初代総理大臣として有名な「伊藤博文」の生涯はどんなものだったのでしょうか?

博文は、農家の林十蔵の子として生まれます。

ですが、家が貧しかったため12歳で奉公に出されたそうです。

その後、父が水井武兵衛の養子になり、博文も周防国の足軽の養子となりました。

この頃に、吉田松陰の松下村塾で学び、討幕運動に参加しました。

1863年には、井上聞多、遠藤謹助、山尾庸三、野村弥吉たちと一緒に、イギリスにいきますが、

そこでみた国力の違いに、開国論に転じます。

帰国後すぐに、下関戦争が勃発し

和平交渉時に、通訳として立ち会った。

幕長戦争(第一次長州征伐)で長州藩が幕府に服従している事を見せると、

高杉晋作らと立ち上がり、力士隊を結成。(その後、力士隊は奇兵隊と合併)

次々と、長州藩の幕府側を倒しついに革新派が、藩政を取り仕切る事ができました。

戊辰戦争での、活躍はなかったものの長州藩の有力者として

また英語が堪能だったという事もあり、新政府の要職を歴任しました。(要職は、兵庫県知事など)

大久保が暗殺された後は、内務卿をつぎました。

維新の三傑亡き後、強いリーダーシップを発揮していきました。

その後は、枢密院議長として、大日本帝国憲法の草案を考える中心的存在としてがんばりました。

そして、内閣制度が発足して、初代内閣総理大臣を誰にするのか注目が集まりました。

その頃有力だったのが、三條實美と伊藤博文でした。

ですが結果的に、伊藤博文が初代内閣総理大臣になります。

伊藤博文は、4度も内閣総理大臣を務めた。

1900年には、立憲政友会を結成して初代総裁となりました。

その後起きた「日露戦争」は反対派だった。また日英同盟にも反対していました。

1905年に、大韓帝国が日本の保護国となり、韓国統監府がおかれる事となり

伊藤は、そこの初代統監になりました。

ですが、1909年に統監を辞任して、枢密院議長にもどります。

ですが、彼にも「死」というものが近いずいていました。

この年の、11月ロシアの財務大臣と会うためハルビン駅に来た所、安重根に暗殺されました。

伊藤博文は、その時代では珍しく世界を視野に入れる人でした。

亡くなった後、大韓帝国の皇帝や世界の政治家から「実に伊藤はわが国(韓国)の慈父である。」や

「韓国人が公を暗殺したことは、特に悲しむべきことである。何故かといえば、公は韓国人の最も良き友であった。」

などの賞賛の声が来ています。

いかに、博文が善政をしいていたかという事が分かりますね!!




って言ってますが、善政というほど善政をしいてなかった(笑
正直、伊藤博文そんな好きじゃないし(笑


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shokichiプロフ

翔

Author:翔
高校1年の翔と言います。
「かける」って呼んで下さい!

クラブは、
レオナルド合唱団と、
MUNと、新世紀栄光班に所属しています。

夢であるSUA,またハーバードに向けて、
今は日々、挑戦に挑戦を続けています。
だってもう、賽は投げられたのですから。

少し、頭の堅い、へんに真面目な人間ですが
よろしくお願いします(*´∀`*)

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