I can do it

夢への挑戦

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2013/07/28   お風呂にて : 日記



久々にどうでもいいことを書きたいなと思います。

あっ、地味に9000人突破してました。ありがとうございます。


先日、お風呂の中で

①夢の神秘性

②上杉謙信出家後の武将として殺生することへの葛藤


を考えていました。
こんな意味不明な事考えている高1も珍しいかなと思うんですけどね(笑)

①はもうどうでも良くなって。笑
まぁ、自分の中で夢は大事なんですよね。
神秘的なんです。

問題は②なんですよね。
すごいですよね。

戦国時代の武将さんって出家する事多いんですけど...


一番良いのは、人を殺さない事やなって最後思いました。
上杉謙信だけじゃなくて、みんな。

争いは何も生まないです。
あっ、生みます。
悲しみとかそういう負のものを生み出しますよね。


また、新たな観点から争う事の無惨さを感じたお風呂の中でした。

ちゃんちゃん。

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2013/07/23   選挙に関して。 : 個人的見解



皆様、こんにちは。
今日は、体調が悪くクラブをお休みしております。

あっ、夏休み入りました。
英語漬けになりそうです。当たり前ですよね。


今日は、選挙も終わったので、選挙に関しての個人的見解。
別に、特定の団体を応援する気もありませんし、そういう記事でもないです。
どちらかというと、アンチの人から見たような記事なのかもですが。


池上彰さんの選挙速報で、創価も公明党も流れていました。
その模様はYouTubeにも上がっています。
ただただすごいのは池上さんの勉強量と、頭の良さ、そして公正さであります。

そして今日はそのことを通じて個人的見解を。

まず、スタンスとしては「選挙活動は折伏の敵」です。

まず、これを見てみて下さい。



政教分離に関しては何もいうことはありません。
完全に分離をしています。高校生の僕でもわかります。

政教分離というのならば、
政府関係者が靖国神社参拝を公にしている方が問題かと。
創価の政教分離の問題は、それは政教分離の問題ではなく、組織票の如何の問題です。


問題はそこではありません。

創価学会のおばさまがおっしゃられた「Fを150が目標」であったり「功徳がでる」という発言です。
これが残念ながら創価の惨状です。
幹部が正しい信心を教えこんでいないからこうなるんです。

Fを150票とか言えば、アンチがそれを持ち出すのは当たり前です。
そりゃ、ノルマと考えるのも当たり前でしょう。バカバカしい。
勝手におばさんがやってくれるのは結構ですが、ノルマなんてない。ましてや功徳なんてない。
そんな行動そのものが折伏を広宣流布を邪魔している、敵をたくさん作っているのです。
そら、嫌われますよ。普段連絡のない人から連絡が来たと思えば公明党って。

さらに「功徳がでる」

これこそが、最大の創価の間違いです。
そう思い込んでる人の多いこと。

功徳なんて出ません。
大聖人が選挙活動されていましたか。
四条金吾が、南条時光が選挙活動していましたか。

それが信行学のどれかに当てはまるというのなら
僕は創価学会をやめます。そんなもの何の真実でもない。
ただ、邪宗に落ちぶれた集団です。

功徳というのはその選挙活動を通じて
教学を学び、唱題をするからこそ現れるのです。
まさかが実現を忘れているのでしょうか。
まさかが実現から何を学んできたのでしょうか。


こんなこと僕が言うことではないのかも知れません。
ですが、未来を担うからこそ今言いたい。


「なぜ、海外のSGIのメンバーはあれだけの熱気で師匠を求められるのか。」
との問いに海外のSGIは語っておられました。
「日本の選挙のような無駄な戦いをしていない。
私達にあるのは、師弟の戦いと、信心の戦いだけだ。」と。

なんでもかんでも、戦いといえば済むのではない。
それはそれを言い訳にした手製の偶像のような戦いだ。

僕はそう思います。

そもそも、選挙なんて、政党で選んでる時点で負けなんだとも思います。
その人がどんな人なのか。
昔はその地域で信頼出来る人を議員として出していた。
今は、誰やねんって人ばかり。

もっと選挙の本質を見つめ返し、
また創価にとっての選挙を見つめ返し、

正しい信仰を貫くべきであると思います。

そのためにも幹部はしっかりとしていただきたい。

ただただそれだけです。以上。





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2013/07/18   錯覚 : 個人的見解



珍しく、2日連続の投稿です。

今日のタイトルは「錯覚」
おいおいそれについては説明をさせていただきます。


今日、放課後、
友達と学年主任の先生とお話をさせていただきました。
その中で「突拍子もないことが出来るのではない。当たり前が出来るのかだ。」
というお話をされていました。
そして、その対話終了後、すごく思ったことがありました
僕の中で様々なことが繋がりました。

その対話の前、ある先生のお話を、ある会議でお聞きしました。
その先生は、その会議に出席している生徒の方に
「学園生は普通の高校生ではないですよね。」と問いかけられました。
その生徒の方は答えられました
「違います...」と。


...はい?


すいませんが、僕にはわかりません。
僕ならばこう答えるでしょう。「普通の高校生です。」と。


学園生は普通の高校生なんです。
だから、このタイトル「錯覚」


学園生だから、特別なことをするべき。
そんな錯覚にしか生きれない人ばかりだと思います。この学園は。

そんなことではないと思います。
師弟って。創価教育って。そもそも高校生って。

師匠は、人間の鏡。人間界の王者であると思います。

であるならば、学園生は、
高校生の鏡であり、高校生の王者とならなければいけない。

つまり、高校生として、人間として、当たり前のことを当たり前に出来る。
それが必要であると思います。

だからこそ、普通の高校生を極めていく。
そう努力する。
通学時のマナー。学校内のマナー。挨拶。その他様々あります。

そんなことさえ、真剣に出来ていないのに、
何が師弟ですか。何が学園生ですか。
そんなことを語る資格さえないと思います。

師弟、学園生、それを語る前に、
まず、一人の「高校生」として、自分はどうなのか。

もっと考えていくべきです。


その上で、学園生は、創価教育は、
その当たり前の行動に価値を創造していく。

それこそが創価教育であり、それ以外にありません。


学園生とは、創価教育とは、

自らの心から創られた価値のもと、それを行動にうつす。

ただそれだけだと思います。
ソレ以上もそれ以下もない。でも、それが出来ないのです。

与えられた価値ではない。
それは価値創造じゃない。価値使用。価値変形だ。

どこまでも、全てに価値を創りだす。

それこそが、高校生の王者になった人間の次のステップだと思います。



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2013/07/17   固定観念的師匠 : 個人的見解



お久しぶりです。
あまりに忙しい今日このごろ。
クラブにもろくに行けずに迷惑かけてばかり。申し訳ないです。

すいません、文章荒いのは大目に見てやって下さい。
今日は、珍しく「学園生」に送るものとなりそうです。

まず前提として、今の学園は衰退の一途をたどっているとつくづく感じます。

ではそれはなぜか。
それは「追い求める」つまり「追求心」が微塵もないからです。

それはどういうことなのか。これからお話したいと思います。





皆さんの師匠は池田先生でしょうか。

本当にそうなのでしょうか。

正直、学園生の中に、ひとりとして先生を師匠と出来ている人はいないと思います。
思っている人は多いでしょう。ほとんど大多数です。

ただそれは空想でしかない。
人間が描く「神」という仮想的願望のような塊が師匠として心のなかに滞在している。
それが学園の今の姿であります。
だから、「師匠の凄いところはどこ?」と聞かれて答えられないんです。
普通ならば1時間でも2時間でも凄いところを語れるでしょう。師匠ですよ。
別の視点から見ても「あなたの好きな歌手の凄いとこはどこ?」と聞かれて
すぐに答えれるでしょう。語れるでしょう。特別な感情を抱いているならば。

また、「これからそれを探して、追い求めていく。」などと言っている方。
それこそが誤りなのです。
それには2つの理由があります。

①そもそも、そういう発言をしている時点で
「なら今まであなたは学んで来なかったのですか?」と思うわけですよね。
つまり言い訳でしかありません。未来をさも見ているかのような視点での。

そして②。
②がとても大切です。
それは...
どのように弟子になったのか。
という過程の変化によるものです。


昔の方々は、戸田先生、池田先生の凄さを体感して、弟子になったわけです。
それは
ただの他人→凄い人
という、心の中の人物へ対する評価の変化があってこその
「弟子になろう」という決意による、師弟の形です。

それに対して、たいていの学園生は子供の頃から
「池田先生はすごい。池田先生はすごい。」と言われ思い込んでしまっている。

それはまるで
サンタクロースを真剣に信じている少年・少女のように。

学園生は夢を見ているんです。今もこれからも。
すごいと思い込んでいる。
これこそがタイトルの固定観念的師匠ということです。


だからこそ、これから積み上げていく。
追い求めていく。

そんなもの机上の空論の上に、それを実践しようなどというような
最も馬鹿げた考えであると思います。
「凄い」という仮定の上に凄さなんて積み上げられるはずがありません。




「ならどうすりゃいいんだ。」

そう思う人も多いのかも知れません。

それは簡単です。
「師匠を疑うこと。」
その一点です。

なぜか学園では師匠を少しでも疑うと白い目で見られる。
そんな風潮がある限り、学園が前進するはずがない。

一度「師匠はすごいのか。」そこから疑って見ることです。
凄くないと決断しても全然構いません。
池田先生が学園生全員の師匠である必要なんてないですし、
池田先生自身もそんなこと言っていない。

凄いと思えば、どうすごいのか。なぜすごいのか。
その追求心にこそ、これからの学園がどうなっていくかの鍵があります。

時代は今です。
この師弟の形の変化こそが「新時代」そのものです。

それも大事な「何のため」です。

師匠を本気で求めるのならば、
師匠が凄いということを確実にし、基礎を固め、

固定的観念から脱却した確実な師匠像を心に描くべきです。


新時代こそ、歴史を変えるチャンス。

まずは心から、師匠から。

そこにこそ、学園生はあると思います。




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2013/06/08   じゃあ、お前にできんのか。 : 個人的見解



すいません、あまり更新できずに。
勉強等が忙しくて...


今日はいつも思ってることを書きたいな。と。

よくこんな言葉を耳にしませんか?
「じゃ、お前にできんのか。」

これは誰かが何かを批判した際に用いられることが多いです。

例をあげてみましょう。


有名バンドAがあったとします。

ある友達が「Aって歌詞はいいけど、歌下手くそやんな」
と言ったとします。
それを聞いていた別のAのファンの友達が
「じゃぁ、お前に出来んのか。あれだけうまく歌えるのか。」
というでしょう。


これが今回のお話。
これに関しては賛否両論綺麗に別れる話です。

僕はこれに関してはおかしいのではないかと思っています。


確かにそういう考えもあるでしょう。気持ちはわかります。

ですが、
この世界「評価する側」の人間がいなくては成り立ちません。

ファンかファンじゃないのか、
それは高評価を下したか、低評価を下したかでしかない。
そう思うんです。

なのに評価する側の人間に評価される側の行動をとれるのかと問うことは
全く論点から外れていると思うのです。


そもそも出来るはずがありません。
普通の人が出来ないことができるから、その分野で活躍しているのです。

それが出来ていれば評価される側に回っているでしょう、


ですが、この記事はその評価されるべき人間の才能によって変わるとも思います。

この記事を評価しているそこのあなたが僕のブログを批判していたとします。
僕はこういうでしょう。
「じゃ、お前書いてみろよ。」と。

・・・余裕で書けるでしょう。笑
この記事の何倍もすごい記事が。笑


ただ、忘れないで頂きたい。
評価する側と評価される側、
これでこの世の中はなりたっているのだということを。

その上で、完璧を求めた上でしか評価を下してはいけないと思っているあなた!
ぜひとも使ってあげてください。
評価される側の味方という高みの見物をした中で、
あなた自身も出来ない何かを求めるこの言葉を。

「じゃあ、お前にできんのか。」


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shokichiプロフ

翔

Author:翔
高校1年の翔と言います。
「かける」って呼んで下さい!

クラブは、
レオナルド合唱団と、
MUNと、新世紀栄光班に所属しています。

夢であるSUA,またハーバードに向けて、
今は日々、挑戦に挑戦を続けています。
だってもう、賽は投げられたのですから。

少し、頭の堅い、へんに真面目な人間ですが
よろしくお願いします(*´∀`*)

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