I can do it

夢への挑戦

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2013/05/25   夢 : 個人的見解


先週はテスト期間だったために、更新出来ませんでした。
すいません(;´∀`)
先に連絡しておけばよかった...
学校で、5,6人に言われちゃいました><

なので、先週無かった分、今週は今日!(土)と明日!(日)の2回書きたいと思いますヽ(=´▽`=)ノ



今日は、夢ということで書かせて頂きます。

僕のサブタイトル。「夢への挑挑戦」
僕にとって大きな目標が出来ました。
その目標を夢と仮定して、話を進めて行きたいと思います。


中学時代の夢は、
SUAに行き、外交官になるというものでありました
ただただ、憧れでした

ですが、それが変わり始めたのが中3の初め頃。
その頃読んだマルクスの資本論にただただ感動しました。
「経済とはこんなにすごいのか。しかもこの作者という視点の1点を取るだけだとしても。」

そこから、経済の仕事につきたいと思い始め、
「経営コンサルタント」という夢を持つようになりました。
ただ、それだけでは何の人生のおもしろみも無いと感じた僕はさらに大きな夢を持つようになります。

「ハーバード大学に行きたい。」

もともと、日本の大学がとても嫌いであり、
海外の大学に進学を希望していた自分。
「小さな夢」では「人生」という大きな時で物事を捉える中で、
どんな充実感も、おもしろみも、生きがいも、「小さな」ものとなってしまうような気がしました。

正直言って、
「俺なんかがハーバードに行けるはずなんかない」と思っていました。過去ですが。

でも、世界のどこかの誰かが、今ハーバードで学んでいるんです。
何万という人が、ハーバードを卒業しているんです。
なら、僕にだって出来るんだと思うんです。
いや、学園という環境がそう思わせてくれたんです。
今までに僕が歩んできた道の上で、今も誇らしげな叶えてきた夢たちが背中をおしてくれているんです。

後で、「夢」についての個人的見解を書かせて頂きますが
僕は夢についての権利を放棄するつもりは毛頭ありません。
切符は自分の心の中にあります。
それを「固定概念」なんていう馬鹿馬鹿しいハサミで切るようなバカな真似はしません。したくありません。


今の僕の夢はたくさんあります。
基本的な大まかな流れで言えば、

SUA進学→ハーバード経営大学院へ。(本当はハーバード大学に行ってそこから大学院がベストなんですが。。)
→米のコンサルティングの会社へ就職→独立

と思っています。
その中で細かな夢も、今しかできない夢もあると思いますが。

僕になら夢は叶えられると思っています。
だから、ブログ名を変えたんです。「I can do it」に。



ここからは、夢についての個人的見解を。

皆さんは「夢」はなんだと思われていますか?
僕は、冒頭で「その目標を夢と仮定して」という風に前提をおきました、

それは何故か。

今、あなたの思っている夢は生命の上では一つの通過点に過ぎないからです。

生命に置いて、花屋さんになろうが、社長になろうが、
何になろうが何の関係もありません。
生命に何らかの影響を与えるということは想像でしかありません。

夢というのは「何」に焦点をおくのかでかわります。
「人生」という風に置けば、僕ならば「幸福の中で死ぬ」とします。

そういうことなんです。
夢は気持ちのように様々に形態を変えて、誰かの心の中に存在してるんです。


もっと大きなスパンで見てください。
いま、あなたの描いている夢は「夢」ではなくなります。
三世の生命で見れば、それはほんの少しの影響しか及ぼしません。


ですが、そんなことを言い出しては、この一生に何も見いだせません。

だから、仮定したとします。目標を夢と。


でも、「夢がない」という人もいるでしょう。
それは、あなたが夢をつかむという権利を放棄しただけなのです。

「〇〇になりたい。」それは人間がが生み出した職業であり、
人間全員がそれをつかむ権利がある。

少なからず興味のあることは人間ですからあると思います。
みんなそれをつかむ権利があるはずなんですよね。
でも、それをしないのは、あなたが自分を知らないからで、
そこで権利を知らなかったかのように放棄する。

ハーバードだって
「お前には無理だろ。」って馬鹿にする人間ほど、
自らの権利を放棄しているものです。
それが当たり前です。自らの行為を正当化したいからです。

夢というものは人類が生み出した希望の産物であります。
ですから、人間で無ければ掴めないものなのです。

それを放棄するような人間にだけはなりたくありません。
僕の生命への挑戦状です。

僕は夢をそう捉えています。


すいません、今日は途中で下書きにして、時間立ってかいたので、
一貫性もなくて...
では(*´ω`*)





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2013/05/12   冬は必ず春となる? : 個人的見解


皆さん、こんばんは。

まだ、「日曜に書く」と言って早々なのに、忘れるところでした。笑
書きたいこと山ほどあるんですけど、
毎日ずっと勉強してるので、日曜日ぐらいしかないんです...(TдT)
でも、勉強大好きなんで毎日happyなんですけどね!


今日は「冬は必ず春となる?」ってことで、
「なんで疑問文なん」と思われた方もおられるはず!

まぁ、でも逆に聞きます。
「冬が春にならないこと」なんてあると思います?
この日本という国の自然現象において。

僕が疑問文にしたのは「だからなに?」と言うニュアンスと
「いや、当たり前ですやん?」というニュアンスを込めています。

これは、父親の影響を色濃く受けています。

今週の「go-show」というコーナーでもこの御書を引用されていましたが、
これは僕としてはあまりいいとは思えません。

皆さんの心のなかには「えっ、御書と言えばこれでしょ。」って気持ちありますよね?

たしかに、このご金言が一番有名でしょう。

でも、考えて下さい。これをもしあなたが信心してない人に言うとしたら。
信心してない友達が悩んで落ち込んでる!励まさなきゃ!
「なぁなぁ、今は辛いかもやけど、
私が信仰してる宗教の御書ってやつに冬は必ず春となる!って書いてるから大丈夫!」

・・・本当に大丈夫ですかね?笑
冬は必ず春となるのは当たり前の話であり、「こいつあほちゃう?」と思われても仕方ありません。

信心してない人にも例外はあります。
まず、北極圏に住んでる人。笑
これは、年中「冬」ですからびっくりされるでしょう。
あと、南国の方々。
この方々はそもそも「冬」さえありません。
さっぴりわからないでしょう。笑


つまり、何が言いたいかと言うと
あのご金言は

『法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、
いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を』

という、妙一尼御前御消息という御書ですが、
この「法華経を信ずる人は冬のごとし」という前提であってこその
「冬は必ず春となる」ということなんです。

もしも、「冬は必ず春となる」だけで引用するとどうなるか。
信心せずともそれは待っとけば解決するよ。となるじゃないですか。
それは違います。それは本質的に解決をしていない。
冬なのに、気候の関係でちょっとあったかくなっているだけです。笑
まだ、春一番さえ吹いていない。

また、信心で早く「春」になるというのも誤った考えではないかと思います。
冬から春になる。この一点にのみこのご金言の本質があるように思えます。
その解決のスピードは様々であり、そんな信心で早くなれば
今頃、この世界の人々の心には満開の桜が咲いて、
冬なんて季節があることさえ忘れている世の中になっているはずです。


冬は必ず春となる。

これは知っている気になっているだけでは何も意味がありません。
そりゃ、「冬は必ず秋となる!」とか訳わからんこと言ってるよりはマシですが。
たしかに、冬は春となります。
でも、それが本当の春であるのか。
それとも、なんか暖かい気がするだけなのか。笑

本当の春を迎えられるかどうかは、
あなたのその心の中にあるのではないでしょうか。


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2013/05/05   勝つことよりも負けないこと : 個人的見解



こんにちはー(*´∀`)
GWももう終わりですね...

えっと、ブログは基本的に毎週日曜日前後に更新していこうかなと思います。
暇なかたは読んであげてください。よろしくお願いします。

先に言っておきますが、このブログで書いてることは
「僕としてはこういう考えだ!」という主張ですので、別にしてほしいとかありません。
反論も嬉しい限りです!
別に「こいつ傲慢か」とか思ってもらってもいいです。


今日は「勝つことよりも負けないこと!」ということで。

皆さんはどういうふうに捉えられているのでしょうか?

僕は、学園の同期の中でよく耳にしたりしますが、
どうも学園生は「引き分け以上に持ち込めばいい。」みたいな感じで受けてるように感じます。

ただ、僕としては全くことなる見解を持っています。

この言葉は「勝負としての」勝ち負けどうこうではないのではないでしょうか。
勝負に勝ち負けがつくのは決まりです。
野球でもサッカーでも、いくら常勝軍団でも負けることはあるでしょう。
そんなこと仕方ないんです。誰かの敗北の上にしか勝利は出来ません。

でも、この言葉はそういうことではないんです。
では、なにか。


師匠は常日頃から「毎日が戦いなんだ。」というふうに話をしておられます。
そして、「何にも全力で挑戦していくんだ!」とも仰っておられる。

・・・ん?
毎日が戦いで、そこに全力で挑む...

何か感じませんか?

そうです。
僕個人としては、
「勝つことよりも負けないこと」=「最低限、挑戦すること」だと思います(*^^*)

挑戦するということは、その段階でもう日々に勝ったと言えるじゃないですか。
挑戦する中に何かが待っているのかも知れません。
それは僕にも分かりません。

でも、師匠ほどの人が「勝負の時は引き分け以上に持ち込めよ!」と言うことを考える方が難しいです

ならば、「まずはそれにぶつかってみるんだ。諦めは負けなんだ。」
という方がどう考えてもスッキリするのではないかと思います。

今、あなたは挑戦していますか?
このブログを見る時間があれば、何か一つは出来るはず!

まぁ、こんなわけの分からんブログをみるという勇気自体挑戦でしょうか。笑


勝つことよりも負けないこと。

この言葉の真意は、どこかまだ遠くにあるのかも知れません。
でも、これだけは思います。

勝ち負けなんてニの次なんです。
人生の勝ち負けはそんな小さなことでは決まりません。
前回の記事の金字塔の如く、どれだけ日々と向きあえ、挑めたか。
勝負に勝った負けたで崩れ落ちるような金字塔を
今まで築いてきていたのなら、その人はその時まで負けていたということです。


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2013/05/02   気持ち新たに : 学園生活


皆さん、お久しぶりです

1月11日以来更新していませんでした。
お陰様で(というのもおかしいですが)高校でも関西創価に通わせていただいています。

高校に進学したということで、
①ブログタイトル
②名前
③外観
変えてみました!ヽ(=´▽`=)ノ

高校でも、今まで通り、いやそれ以上に頑張っていきたいと思います。


ところで、話は変わりますが、僕の高校の学年は「41st」です。
「幸せ1番」と僕的には解釈しています。
間違っても「死ぬの一番最初」とか、そういう解釈はしませんのでね。はい。笑

で、クラスで学級委員に選んでいただいたのですが、そのまま学級委員長にまでなってしまいました(^o^;
やりたかったのでいいんですけど!
学年をまとめる立場ですので、頑張らんとあかんな。と思っています。

そこで!僕自身として、この学年をどうしたいのか。ということをここに書きます。
もし、これから「学級委員長挨拶」とかあったら、ほとんど同じ内容になるかと思いますが...
それではこれより、僕の学年をどうしていきたいのか。どうしてもらいたいのかを書きます。
文章力がないので、上手く言葉に表せなかったりしています。
大目に見てください( ; ; )





僕はこの41stの一人一人に「不滅の金字塔」を打ち立てて欲しいと考えています。
言葉を変えると「この3年間でこれだけは誇れる!誰にも負けない!」ということです。
すごく難しいように感じる人もいるのかもしれません。僕自身、難しいと思います。

ただ、難しいからと言って逃げるのでしょうか?
それは違うと思います。
皆さんが目の前にもし、めんどくさいから解きたくないけど、解かないと進級できない数学の問題があったとします。
皆さん必死に解くと思います。

でも、それがなぜ嫌なのか。
答えは一つです。「めんどくさいから」ただそれだけです。

ただ、学園生活でそれをしてしまうと余りにも失うものが大きすぎます。
僕はそれをしてほしくないですし、自分としてもしたくないと思っています。

では、どうすれば不滅の金字塔を打ち立てる事ができるのか。

それを説明するために、一つ話しをしたいと思います。

皆さん「金字塔」と書いて、当て字でなんと読むか知っていますか?
これは「ピラミッド」と読みます。

「だからなんやねん!」と思う方もいるのかもしれません。
ですが、ピラミッドそのものが古代エジプトの人々の不滅の金字塔そのものではないでしょうか。

ピラミッドというのは、何年、何十年とかかる地道な作業を乗り越えて作られたものです。
緻密な設計のもと、一つ一つ石を積み重ねていく。それも、ただ上に積み重ねていくのではありません。
土台となる一番下の部分を一番大きく丁寧に置いていき、その上に少しずつ積み上げていくのです。

これは僕達の学園生活でも言えることではないでしょうか。
一番下の段を疎かにしては、上が成り立ちません。
一番下の段を小さくしたのでは、高く高く積み上げることができません。
僕らの土台も小さければ小さいほど、志も、夢も、希望も、その人の人間性も小さいものとなってしまいます。
どれだけ地道に日々を超えていけるのかであります。

そうやって、一つ一つ、一段一段、丁寧に、手を抜かずに積み上げてきたからこそ、ピラミッドは何千年たっても残っているわけです。
まさに「不滅」の「金字塔」ではありませんか。

僕達の学園生活もそのままであります。
この高校1年。まだまだ行事にも参加できず、交友関係も小さいのかもしれないです。
自分が出来ることだって制限されていると思います。
それでも、地道に、真剣に、一番基礎の石を敷き詰める事が出来れば、その人が最後には、高く、大きな、金字塔を打ち立てることが出来る。

辛い時、苦しい時は、原点に立ち返ればいいと思います。
「あの辛かった一段目の敷き詰める作業を乗り越えたんだ、あとは、上へ。上へ。積み上げていけばいいんだ」
そうやって立ちかえれば、辛いこと、苦しいことにも勝てます。

そして、最後に。
この学園を卒業する時、その金字塔の上には、光り輝く自分がいるでしょうか。
最後の石を積み上げて、勝ち誇った自分がいるのでしょうか。


冒頭で申し上げました「不滅の金字塔を打ち立ててほしい」という言葉。
この高校一年が一番の闘いになると思います。それでも、この41stなら絶対に出来ると思います。

みんなの金字塔が出来上がるその時。
この41stの不滅の金字塔も確固たるものとなって、厳然と光り輝くはずです。

そのためにも、今は地道に、自分が望む金字塔のための、土台作りしっかりしていきましょう。
それが「不滅の」金字塔を打ち立てる最高の方法であり、唯一の方法であるからです。

僕も、学級委員として、できる限り力になっていきたいと思います。
そういう学年を作るんだ!と祈っていきたいと思います。
もう逃げることはできません。もうすでに賽は投げられていますから。

                                                (終)


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2013/01/11   1月11日 : 日記


車窓から見える混沌としたカオスの中の、沈みゆく夕陽のほのかな光に僕の心を見つけたような気がした。


…なんて中二病な文章から始めてみました

新年明けましておめでとうございます。


さきほどの中二病の文章、今回の話とあまり関係ないわけでもなく。


僕、学校帰りに、自分が日々の繰り返しが嫌だと気づいたんです。

だからこそ、新しい何かを見つけるために学び、挑戦する。
刺激が欲しいんだな。と。

だから、修学旅行や、運動会が特別に思えるのかなって。

人間って、平和でありたいくせに、
日々、変化をもたせたがる。

何もしない人生が一番、平和なはずなのに。

でも、だからこそ人間って素敵なんだと思う。


そんなことを考えがなら、帰っていた、いつもの、日々と変わらない下校中の電車の中。

そこで見た夕陽は
僕の今日見つけた新たな刺激なのかもしれない。


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shokichiプロフ

翔

Author:翔
高校1年の翔と言います。
「かける」って呼んで下さい!

クラブは、
レオナルド合唱団と、
MUNと、新世紀栄光班に所属しています。

夢であるSUA,またハーバードに向けて、
今は日々、挑戦に挑戦を続けています。
だってもう、賽は投げられたのですから。

少し、頭の堅い、へんに真面目な人間ですが
よろしくお願いします(*´∀`*)

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