I can do it

夢への挑戦

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2012/06/15   考えすぎている先のこと : 日記


皆さんこんばんは!

もう少しで、期末のテスト週間に入ろうと言うところです。
もう少しで全国がかかっているディベートの試合があるため
毎日ディベート漬けです。

・・・そういえば関係ないですが、一時期「英語漬け」ってゲーム流行りませんでしたっけ?笑



今日は将来の事です。
創価学会のことです。ただ創価学会の将来ではありません。

最近、専ら「将来、折伏が僕に出来るのだろうか」と考えることが多々あります。

僕はそれほどまでに地元の友だちなどと信頼しあえているだろうか

いろいろ考えていると不安になります。

ですが「折伏」とは何なのでしょうか。


創価学会は数にこだわっているというイメージがあります。
折伏しよう!入会してもらおう!
新聞が何ポイントだのなんだのという会話をいつも耳にします。


・・・ですが、それほど数は大事なのでしょうか?

折伏しようということは分かります。
池田先生だっておっしゃられている。

「行者」の「行」とは行動のこと。
信行学に励まないといけないのですから折伏は分かります。

ただ、話を聞いていると
折伏=入会
と捉えて言う人が多いと思います。

それは絶対に違うと思います。

池田先生から「入会させなさい」なんて言葉聞いたことがありますか?
一回もありません。


折伏(しゃくぶく)は、破折屈伏(はしゃくくっぷく)の略。
日蓮系で概ね富士門流系の宗派における布教姿勢の一つで、摂受(しょうじゅ)に対する語。
相手の間違った思想に迎合することなく、
正しいものは正しいと言い切り、相手と対話を通じて日蓮の仏法を伝えること。


Wikipedia参照です。笑 とても便利です。はい。笑

このように、法華経の凄さを伝えていくことが折伏なのではないでしょうか?

これさえも分からずにただ闇雲に数だけを求めていくことを
果たして大聖人様が見ていて喜ぶのでしょうか。

そう感じます。

まずは自分がお題目で幸せになること。救われること。

「みんなとは唱題できるってところが違うんや。人生得してるわぁ」

と思えるぐらいの心の余裕を生み出せるのか。

「自分だけ得してても仕方ないな。みんなも教えてあげよ」

こうすることによって周りにも幸せを広げていけるのではないでしょうか



自己満足の信心でいいんですかね...


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2012/06/09   塾 : 日記


お久しぶりです。
何かと忙しい笑吉です。なんででしょうか^^;

先日のブログにコメントを下さった方ありがとうございます。
違った角度からの意見などもいただけて
「そういう見方もあるのか」と勉強になりました。
本当に本当にありがとうございますm(_ _)m

今日は「塾」に関してです。


今まで「塾」に行ったことのない自分。
別に自慢ではないです。
まず「行かなくてはならない」という考えが日本に充満している事自体間違いなんです。

だから
関西創価中学校を受験しようと思っている同志の方々。

塾に行ってないからって諦めることはありません。

本気で行ってやろう!という決意と
乗り越えるだけの題目をあげれば絶対に受かります。
間違いありません。僕がそうでしたから。


そもそも「塾」とはなんですかね?

今の日本は受験をするだけでも「塾」という言葉が出てくる。
しかも学校の先生から。

本来、塾とは学校の内容を補足するためだけの場所のはず。
それがなぜ学校よりも大きな意味をなしているのか。理解に苦しみます。

学校と塾、どちらも通うということは2つ学校に行っているようなものです。

そして、塾で勉強を先取りして(また、今までの復習を完璧にしたと思い込んで)
有頂天になっている。それだけで満足している。

おかしいんじゃないんですかね?

結局はあとにも先にも習うこと。
ならば一気に先に詰め込んで忘れてしまうよりも
着実に固めていったほうが良いのではないでしょうか。

そら、その人との相性もあります。
先取りして、それをすべて完璧にこなせる人もいるかと思います。
ただ、そんな人は極稀です。


今、塾に通っている人にはいろいろなパターンがあると思いますが
大きく分けて3つではないでしょうか。

①受験をするために行っている

これに関しては、その人自身の勝手なのでなんとも言いませんが、
ただ塾に行っているからといってそれだけの勉強で満足してしまうのもどうかと思います
またそうやって得た知識を周りにさらけ出すような人もいますが(実際小学校時代いました)
そんなことをしたところで意味がありません。
難しい学校の受験なんか社会で使わないことだらけだと思うので
生涯で一度も耳にしないこともあって当然なので。
何よりも受験対策に関しては「塾」はプロフェッショナルと言えると思います。

②勉強に追いつけないから塾に行っている

まずなぜ勉強に追いつけていないのかを考える必要があると思います。
追いつけていない理由はその人自身になにか問題があるんじゃないですか?
授業を聞く気がない、勉強をする気がない子は
いくら塾に行ったからといって変わることはほとんどないです。
まずは自分が授業を聞いて、復習もしっかりすることで
だいぶ変わってくるのだと思います。
それでも塾にいかせることはただの親の自己満足でしかありません。

塾に行き始めて成績が一気に伸びた子もいるかと思います
塾に行って成績が一気に伸びた子は、その子が塾を起爆剤として利用できた。
塾の素晴らしい使用例ではないでしょうか?
僕はそう思います。勉強のきっかけ作りというのは素晴らしい使途だと思います


③今の勉強だけでは物足りない!もっと上を目指したい!

これに関しては悪いとは言えないと思います。
勉強が好きならばやりたいだけやればいいと思います。

でも、こんな真面目な日本から学者が中々出ないのは
発想の転換が出来ないカチカチの頭になっているかじゃないですか?

アメリカなどは特別な勉強はないです。
最初はアメリカよりも学力は日本が上です。でも大学などでひっくりかえされる。
それはなぜか。
無理に勉強を詰め込まなかったので自由な発想が生まれるためです。

だから悪いとも言えませんけど良いとも言えないと思います。
その子次第ということかな?



僕はどれにも当てはまらないかと思います。
勉強は好きですけど、2つも学校に行くのは嫌です。
しんどいだけです。
一生をかけてもこの世の中を知ることは出来ないんだから、
使わないこと覚えても意味無いじゃんと思ってしまいます。


・・・そんなことはどうでもよくて

何が言いたいかと言うと、
結局「塾」に行ってるから賢いというのは間違っているということです。

塾はあくまでも学校のサポートです。なので使い方はたくさんあります。
でも学校の勉強さえ確実にすれば塾なんて必要ないわけです。

今の時代、本当に日本はおかしいです。そこまで塾がすごいものとは思えません。

僕の中での塾のメリットは

起爆剤ということと、たくさん問題が出来る

以外に無いと思っています。

何よりも本人が苦しまない程度に勉強することがちょうどいいのです。

ただ絶対に間違っていることは
自己満足のためだけに塾に行くという考えです。

その考えだけは日本から無くしたいなとそう思います。


今日も堅苦しいブログですいませんでした^^;
たまには友達向けに楽しいのも書くんで^^


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2012/06/01   成功の反対 : 日記


おひさしぶりでございます。
テスト期間で大忙しでした笑吉です^^

名前の通り、笑顔絶やさず頑張っています


今日は思ったことを端的に書こうと思っています。
多分、ぐだぐだと長い文章が続くと思われますが・・・。
一応「端的」ってことにしといてください。


いきなりですけど

「成功」の反対ってなんだと思いますか?

一人ひとり答えは違うでしょう。
思考回路違うのですし、今まで生きてきた環境も違う。
自然と答えが違ってくることは当たり前です。

その中で
「失敗」だと思われた方に対しての今日は話をしたいなと。

僕の個人的な考え方ではあるのですが。

失敗も成功の一つなんじゃないか

そう考えています。
失敗という結果に辿りつけた事自体が成功なんじゃないかと。

「失敗は成功のもと」

とよく言います。
でも、それ以上なんじゃないかなって思います。
失敗したことを5回10回と繰り返しますか?
途中で学び取るはずですよね。これは違っているんだと。

ということは失敗は最終的な成功への過程でしか無い。
そこに「失敗」というものがなければどうですかね。
学び取れずにダメな方にばかり進んでいた。違いますか?
そして最終的に失敗していた。


そもそもこの世の中に「失敗」という言葉がある事自体が
おかしいのではないかとさえ思います。考え過ぎではありますが。


失敗は「失って、敗れた」と書きます。

ここでの失うとは「そのことのためにかけてきた気力や時間、努力」など。
敗れたとは「結果論」ではないかと僕は思います。

今までの努力が失われたのならまたそのぶんだけ努力すれば良い。
それでも無理なら2倍すれば良い。

結果論で敗れたならそこから次への一歩を見出して
もう一度挑んでいけばいい。

ゲームだってそうでしょう。
一度勝てない相手でも、もう一度ぶつかっていく。
勝てなければ、レベルをあげたり武器を強くしたり。
試行錯誤を繰り返してもう一度挑んでいく。
そこに初めて面白さがあるんじゃないですか。

失敗するということはそういうことだとおもいます。

ではなぜ「失敗も成功の一つ」と考えたのか。

それは失敗した時に何か心に残るものがあるからです。
失敗したから挫けずに次もう一度挑んでいく。という気持ち。
悔しさや、辛さ。また諦めたくないということ。


その気持ちこそが
人がより人間的になっていくための必要な材料だと思うからです。

だからこそ、
失敗は成功の一つである。
そしてまた僕の中では
大成功と並ぶほど、いやそれ以上の何かを心に与えてくれる。そういうものだと思います。

では原点に立ち返って

結局、
成功の反対はなんやねん!
と疑問に思う人がいると思います。

個人の感想ではあります。
ですが断言したいと思います。

成功の反対は「惰性」ではないでしょうか。

惰性とはなにか。
あえてYahoo知恵袋から引用します。



「今まで続いてきた習慣や癖、これまでの勢い。改められない習慣。」


成功も失敗も絶対にぶつかっている。
そこに人間的成長が生まれます。
でも惰性は何もうまない。業務的な人生です。なんとも面白くない。

高い壁が目の前にそびえ立っていたらそこに穴をあけて進むようなもの。
ハードルが高いと、そのハードルをさらにあげて下をくぐって逃げていくような

惰性というのはそういうものです。

もちろん成功した時の感動や嬉しさはない。
失敗した時の悔しさや諦めない心もない。

何よりもただひたすら同じ事のくり返し。
行動範囲も思考回路もすべて同じ。


成功(失敗も含めて)
それは挑戦だということです。
成功の喜びと失敗の悲しみは確かに反対なのかも知れません。

ですが「成功」「失敗」なんて所詮は
その戦いの結果論でありタイトルでしかありません。

人間の人間としての義務は
何よりも成長することではないでしょうか。


成長とは全ての感情です。それが成功によって生まれる。

それさえも逃げている『惰性』という言葉こそ
反対の言葉なのじゃないでしょうか。


あくまでも僕の意見です。
皆様の考えが聞いてみたいです。


端的と言っていたのに結局長くてすいません(-_-;)笑


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2012/05/04   5・3 : 日記


お久しぶり大根!笑

たまーには言ってみたくなるこういう言葉。笑

お久しぶりです。
最近、なんやかんやで中3なって忙しいっす。
楽しいクラスで嬉しいんですけどねー(*´ω`*)



今年の5・3は感じ方が違うんですよね。いきなり本題に入っちゃいますが。

何度も先生から「新時代」という言葉を贈って下さって、
学園生を励まして下さっている。

これほどありがたいことはないじゃないですか。

今年の5・3は
「新時代の幕開け」と思っています。


言葉だけの新時代じゃない。
ただただ世代が違うわけでもない。

根本的に違うんですよね。

新創価の幕開け

という言い方もおかしいかと思いますが、
気持ち的にはこれが一番近いかなって感じてます。


新時代一期生の僕達が引っ張っていかなくてはならない。
僕達の世代で来るべき時が来るような気がします。

なんとしても保ち、そして広げ。

世界広宣流布も目の前です。

その出陣式とも言うべき今日です。
ありがたいじゃないですか。先生が見守ってくださる中での門出。
そうそうあるもんじゃないですよ。
僕がほんの100年前に生まれていれば巡り会えない仲間が目の前にいるんです。
人生の師匠が目の前にいるんです。

「奇跡」だとか「運命』だとか言葉にこだわってる人がほとんどですけど
そんなことどうだっていいんです。
ただただこの瞬間の命に感謝出来ればそれだけで十分なんです。


僕たちは、決して「池田先生を目標」にしてはいけないとそう思います。

志は大きく。


青は藍より出でて、藍より青し。氷は水これをなして、水より寒し


池田先生がここまで偉大な人物になられたのは、
戸田先生が偉かったのもあります。

それ以上に、戸田先生以上の目標をもって取り組んだ。それに限るんじゃないですか

僕たちは池田先生を目指していけばダメとは言いませんが、
先生以上にはなれません。
先生と同じぐらい偉くもなれません。
(ここでの偉いとは先生のご指導などでの偉くなりなさいの基準で考えています)

全員が師匠を超えてやるんだと思うことで

はじめて新時代が始まるのではないでしょうか。


まずは創立100周年。

目の前のあなたをどこまで尊重できるのか。
どれだけ幸せにしたいと思えるのか。どれだけ大切にしたいと思えるのか。

僕達の世代の戦いは切って落とされたとおもいます。
いや、切って落とされました。

ただただ前進あるのみです。


勝ち越えて勝ち越えて
その先に見える光をみんなでつかみとろうじゃないですか。




2012年 5月4日

絶対に大勝利の一年を。


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2012/04/22   階段を2段飛ばしで駆け上がる : 日記


こんにちわ( ´∀`)

ほんっまに中3楽しいです。
理由は色々とあるんですけどね( ・∀・)あはっ
楽しい楽しい毎日。エンジョイジョイ(*´ω`*)

心が体中を飛び跳ねてる

っていう自分なりの表現が好きです^^
「るんるん」っていう表現だけでは今の感情を表しきれないですよねー


・・・よし前置きはこれぐらいにして本題へ。
今日のタイトルは決して誰かの歌詞とかではありません。

このタイトルの階段っていろいろな解釈ができるんです。それは話の最後で^^


最近、長所がひとつ増えました。
今までは自分では
「一度決めたら自分が出せる最後の力でそれに取り組む」
という長所ぐらいしかなかったんですよ。
自分で胸張って言えるものって。

でも、友達のおかげで変われました。

何かと友達から相談を受けることが多い僕。
その中でたまに聞いていて嫌になることだってあるんですよね。
そして、軽く流しちゃうことも。

でも、本気で相談してくれてるんだから。
本当に申し訳ないことをしてるな。って思って
本間に考えて考えて本気で相談にのってあげたんです^^

そしたら、電話ですっげー笑ってて(友達が)

「あっ、相手のために、相手が幸せになるためにこっちが本気になれば、
結局は自分も幸せになれるんやな。」

って初めて形で見ることが出来たんです。

そしてその日から僕の生きがいに「相手を笑顔に」が入りました。
笑ってくれることほど幸せになれることはないんですよね。本当に嬉しいです。


そして、いつしかそうやって
「相手を少しでも幸せにできるように行動できる」
っていうのが僕の長所の一つになっていました^^


最近の池田先生のご指導も
「まずは目の前の人を大切に。」
「不幸な人を幸せにしてるんや。」
といった主旨のご指導がたくさん入っていて。


その長所を踏まえた上で階段を登っていれば一段一段だったと思います。
でも、池田先生のご指導が後ろから僕を押してくれています。
だから2段飛ばしなんです^^


今日の階段って本当に色んな意味があると思うんですよね。

大人の階段と解釈してもらってもいいですし、
心の階段として解釈してもらってもいいですし。


ただひとつ言えることは自分が成長している。
ただそれだけの事実かもしれないけど、
その事実ほど自信になるものってないんですよね。


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shokichiプロフ

翔

Author:翔
高校1年の翔と言います。
「かける」って呼んで下さい!

クラブは、
レオナルド合唱団と、
MUNと、新世紀栄光班に所属しています。

夢であるSUA,またハーバードに向けて、
今は日々、挑戦に挑戦を続けています。
だってもう、賽は投げられたのですから。

少し、頭の堅い、へんに真面目な人間ですが
よろしくお願いします(*´∀`*)

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